雑誌とは、はかない読み物ですね


これは本の一部です(ダジャレです)

一時活字中毒ではないかと思われる時が有った。
出張で列車に乗る時は文庫本を3冊ほど持って行って、
列車の中で読破した。
そんなバカなことをしても仕方がないと思い始め、
音楽を聴きながら寝ることになって久しい。

ところが、人気雑誌160冊以上の最新号とバックナンバーを
入れると1、000冊以上がなんと一か月400円で読める
サービスが有るという。
「NTT DOCOMO の Dマガジン」と言うサービスだ。

しかも一か月間は無料のお試し期間だという。
これはもう読むしかないと決意、何はともあれ空いた時間に
読み漁った結果、3日で飽きた。
しかもこんなに読んだのに、何も残っていない、何も。
雑誌と言うのは何と恐ろしい世界なのか。

今解約しても良いのだが、こんなに読んで只と言うのも何か
申し訳ないので、半年位は契約したままでいようと思うのだが。
  

2016年07月20日 Posted by igoten at 16:51Comments(2)読書

マインドフルネス




最近「マインドフルネス」と言う言葉を良く聞くように
なった。

ジョコビッチ、松下幸之助、スティーブ・ジョブズや、
グーグル、ナイキ、マッキンゼーなどの企業が取り入れて
いるという。
ちょっと高価な本(私にとって)を購入。

届いてから5分で完読。
要するに自律神経訓練法の焼き直しだった。
「自律神経訓練法」は、1932年にドイツの精神科医シュルツ
によって創始された自己催眠法である。

『自律神経を整え、パフォーマンスを最大化する“奇跡の周波数"
528Hzオリジナル音源収録
DNAを修復し、自律神経のバランスを整える4曲』
とある。
かなり嘘くさい。

「自律神経訓練法」は世界中で研究されていて、効果が有ることは
証明されているが、DNAを修復する528Hzとは何だろうか。
効果のあることと、疑わしいことをワンセットで書いて信用させるというのは
良く使う手なのだが。

「イワシの頭」のような気がするのだが。

  

2016年07月18日 Posted by igoten at 10:49Comments(2)その他

ペリー来航


毎年7月に神奈川県横須賀市久里浜で「久里浜ペリー祭」
が行われる。

ペリーが最初に来航したのは1853年のことである。
ペリーはアメリカ合衆国東インド艦隊司令長官遣日特使と
してアメリカ大統領フィルモアの書翰を携えていた。
当時の「東インド」と言うのは東洋をさした。

「太平の眠りを覚ます上喜撰たった4杯で夜も眠れず」
と言う有名な狂歌が有る。
宇治の高級茶「喜撰」の上等なものを「上喜撰」と言ったが、
蒸気船と上喜撰をかけた秀逸な狂歌である。
ただし、浦賀に来航したのは旗艦のサスケハナ、ミシシッピ、サラトガ、
プリマスの4隻でその内蒸気船はサスケハナとミシイッピだけで、
他の2隻は帆船である。
ちなみに軍艦にはアメリカの川の名前がついていた。

蒸気船と言うからには洋上も蒸気で航行したように思えるのだが、
この蒸気船は帆が有り、通常の航海の時は帆で航行していた。
蒸気で航行するのは湾内などの限られた時や場所である。
これらの船は「黒船」と呼ばれていた為、鉄で出来た鉄甲船のように
思えるのだが実は木造船で腐食防止のため黒いタールを塗ってた。
しかしその大きさは半端ではない、当時日本では大きな船の建造は
禁止されていたので、最大でも200トンを超える舟は無かったのだが、
サスケハナ号はなんと2450トンもあった。

さて江戸幕府の対応であるが、この対応に当たったのが、
たかだか石高100石クラスの与力中島三郎助である。
江戸時代のちょっと大きな田舎の庄屋でも石高100石くらいは
有ったのだから、この与力は石原新太郎に言わせれば木端役人である。
しかしこの木端役人はすごい、番船で真っ直ぐ旗艦のサスケハナに
漕ぎ寄せて、「オランダの通詞はいますか」と言うのである。
むろん中島与力はオランダ通詞を連れている。
幕府はあらかじ準備していたのだ。
巨大な軍艦で日本を驚かしてやろうと来航したペリーであるが、最初に
面食らったのはペリーの方かも知れない。

ペリーのオランダ通詞は「この船は北アメリカ合衆国の船であり、
大統領から将軍に宛てた書簡を持っており、奉行で無ければ交渉しない」
と言う。
しかし与力も負けてはいない、「日本の国法では奉行が、異国船に応接
することは無い、国には国の法律が有りその法を犯すことは
出来ない」と近代国際法にのっとって反撃する。
しかもこの与力只者ではない、自分は副奉行であると偽ってサスケハナ号
に乗り込み、去り際に艦上の巨砲を見て「これはパクサンズ砲ではないか、
して射程距離は」と尋ねて煙にまく。
むろん彼はパクサンズ砲の射程距離を知っていたのであろう。

パクサンズ砲の射程距離は約6km、江戸城は海岸からわずか3kmしかない。
戦闘になれば江戸は時を待たずに壊滅的なダメージを蒙ることになる。
4隻の黒船の前に江戸幕府と言うよりも日本は、風前の灯であった。

  

2016年07月15日 Posted by igoten at 10:12Comments(2)読書

イザベラ・バード



イザベラ・バードはイギリスの女性旅行家。
明治初期に一人で日本の辺地を旅行し、1878年(明治11)
6月から9月にかけ『日本奥地紀行』は執筆さる。
かなり辛口の批評で読んでいて面白い。

『私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、
まったく安全でしかも心配もなかった。
世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、
まったく安全に旅行できる国はないと信じている』
と書いている。

『彼らは礼儀正しく、やさしくて勤勉で、
ひどい罪悪を犯すようなことは全くない。
しかし、私が日本人と話をかわしたり、
いろいろ多くのものを見た結果として、
彼らの基本道徳の水準は非常に低いものであり、
生活は誠実でもなければ清純でもない、
と判断せざるをえない』
イザベラの言う基本道徳とはキリスト教のそれである。

「伊藤は私の夕食用に一羽の鶏を買って来た。
ところが一時間後にそれを絞め殺そうとしたとき、
元の所有者がたいへん悲しげな顔をしてお金を返しに来た。
彼女はその鶏を育ててきたので、殺されるのを見るに忍びない、
というのである。
こんな遠い片田舎の未開の土地で、こういうことがあろうとは。
私は直感的に、 ここは人情の美しいところであると感じた。」
伊藤はイザベラの通訳兼案内役。

「未開の土地」とはどういう状態をいうのだろうか。
当時の日本人の識字率は50%程度だと言われる。
イギリスはたぶん20%前後だろう。
現在でも世界中の平均の識字率は75%だという。

単に文明の向かう方向が違っていただけなのだ。

  

2016年07月14日 Posted by igoten at 08:25Comments(2)読書