蛍

昨日裏庭で蛍をみた、何年ぶりだろう。
まだ他にも沢山いるんじゃないかと思って目を凝らしてみたが、
見えたのは一匹だけであった。
蛍も仲間を呼ぼうとして光る訳だから、一匹じゃ寂しい。
ゆく蛍 雲の上までいぬべくは 秋風吹くと雁に告げこせ
「伊勢物語」 在原業平
深窓の令嬢が、ある男に恋をして、心の中を打ち明けやうとしたが
それもままならないうちに、恋の病で死んでしまう。
それを聞いた男は驚いて、その家に留まり女を物憂く偲い歌を詠む。
蛍よ、もし雲の上まで飛んで行けるのなら、死者の国に住むと言う
あの雁にもう秋風が吹いて、雁が飛んでくる季節になっていると
伝えてほしい。
雁が来たら私の思いを雁に託すことが出来るのだから。
『蛍が消えてしまったあとでも、その光の軌跡は僕の中に
長く留まっていた。
目を閉じた厚い闇に中を、そのささやかな光は、まるで行き場を
失った魂のように、何時までもさまよいつづけていた。
僕は何度もそんな闇の中にそっと手を伸ばしてみた。
指には何も触れなかった。
その小さな光は、いつも僕の指のほんの少し先にあった。』
『蛍』 村上春樹
蛍は来年も又来てくれるだろうか。