静物
玄人好みと言うか、全く奇をてらわない小説が有る。
「たとえばどんな本?」と聞かれると困ってしまうのだが、
志賀直哉の「暗夜行路」なんかがそんな種類なのか
とも思うが、ちょっと違う気がしないでもない。
庄野潤三の『静物』と言う短編はまさに玄人好みの小説であろう。
この本を本屋の店先で手に取って、面白そうだから買って行こう
などと思う人は殆ど皆無ではないかと思うのである。
ではなぜこんな本を読んだかと言うと、このブログでも何回か
書いた村上春樹の『若い読者のための短編小説案内』と言う本に
この『静物』の書評が載っていて、村上春樹が絶賛していたからである。

(この前テレビでアラビアのロレンスを観ていたら、ラクダの顔がアップで映った。
ラクダの顔はまつ毛が長くて結構可愛いですね、この記事とは関係ないのですが)
ローマに行きたくて『ローマの歩き方』と言う本を読むのではなく、
『ローマの歩き方』と言う本を理解したくてローマに行くようなそんな
本末転倒したところが有るのだが、それが又心地よい。
庄野潤三の『プールサイド小景・静物』と言う本と村上春樹
の『若い読者の為の短編小説案内』を横に並べて同時に読みながら、
なるほどフンフンなどと一人感心しながら読むのは、何か高尚な
パズルでも解いているような、高揚した気分の持続が感じられる。
どうしてこんな素晴らしい書評を書く人が、あんなつまらない小説を
書くのだろうかなどと、つい不謹慎なことを考えたりするのだが、
こんな素晴らしい書評を書く人が書いた小説だから、もしかしたら
もっとうんと底が広い小説なのかも知れないと、これも逆説的な
事を考えてしまうのだ。
『しかしこの作品が発表された昭和35年といえば、安保闘争の年ですね。
世間が上を下への大騒ぎをしていた、戦後のひとつの大きな節目です。
そんな時期のあえてこの『静物』を書いて世に問うた庄野潤三の文学的姿勢を
「ラディカル」と取るか、「コンサバティブ」と取るか、これはすごくむずかしい
ところですね。
「その両方であるし、同時にどっちでもない」という風に、僕は個人的に
感じているのですが。』
村上春樹 『若い読者のための短編小説案内』より
クールだねこの書評は。
「たとえばどんな本?」と聞かれると困ってしまうのだが、
志賀直哉の「暗夜行路」なんかがそんな種類なのか
とも思うが、ちょっと違う気がしないでもない。
庄野潤三の『静物』と言う短編はまさに玄人好みの小説であろう。
この本を本屋の店先で手に取って、面白そうだから買って行こう
などと思う人は殆ど皆無ではないかと思うのである。
ではなぜこんな本を読んだかと言うと、このブログでも何回か
書いた村上春樹の『若い読者のための短編小説案内』と言う本に
この『静物』の書評が載っていて、村上春樹が絶賛していたからである。

(この前テレビでアラビアのロレンスを観ていたら、ラクダの顔がアップで映った。
ラクダの顔はまつ毛が長くて結構可愛いですね、この記事とは関係ないのですが)
ローマに行きたくて『ローマの歩き方』と言う本を読むのではなく、
『ローマの歩き方』と言う本を理解したくてローマに行くようなそんな
本末転倒したところが有るのだが、それが又心地よい。
庄野潤三の『プールサイド小景・静物』と言う本と村上春樹
の『若い読者の為の短編小説案内』を横に並べて同時に読みながら、
なるほどフンフンなどと一人感心しながら読むのは、何か高尚な
パズルでも解いているような、高揚した気分の持続が感じられる。
どうしてこんな素晴らしい書評を書く人が、あんなつまらない小説を
書くのだろうかなどと、つい不謹慎なことを考えたりするのだが、
こんな素晴らしい書評を書く人が書いた小説だから、もしかしたら
もっとうんと底が広い小説なのかも知れないと、これも逆説的な
事を考えてしまうのだ。
『しかしこの作品が発表された昭和35年といえば、安保闘争の年ですね。
世間が上を下への大騒ぎをしていた、戦後のひとつの大きな節目です。
そんな時期のあえてこの『静物』を書いて世に問うた庄野潤三の文学的姿勢を
「ラディカル」と取るか、「コンサバティブ」と取るか、これはすごくむずかしい
ところですね。
「その両方であるし、同時にどっちでもない」という風に、僕は個人的に
感じているのですが。』
村上春樹 『若い読者のための短編小説案内』より
クールだねこの書評は。