『贈る言葉』


柴田翔
1935(昭和10)年東京生れ。
東大工学部から文学部独文科に転じ、修士課程修了。
1964年『されど われらが日々――』で芥川賞受賞。
小説家として活動しながら、東京都立大学、東京大学、
共立女子大学の助教授・教授を歴任する。




小池真理子
柴田翔は青春のバイブルでした。
学生運動の時代。ぼくらは何を夢見て、何を喪ったのか。
あの時、あの場所で、ぼくの想いはどこまで君に伝わっただろう。
そして君の願いを、ぼくはどれだけ受け止められただろう。
時を経てなお、ぼくは繰り返し問いかける。
あんなにも濃密な時を共有しながら、
今はもうそばにいない君に――。
学生運動に席巻された熱く激しい時代、
理想を求めるほどに傷ついていった若者たち。
その無垢さ未熟さ痛ましさに捧げられた、永遠のレクイエム。


村上春樹が大ブレークし、村上龍が見直される中で、
ちょっと待って、柴田翔はどうなったのと言いたい人が
多いと思う。

村上春樹の書く1970年代は、どちらかと言えば現代から見た
1970年代に似ている、その意味では村上春樹は素晴らしく
時代を先取りしていたと思われる。

しかし当時の学生が村上春樹の書く学生の様で
あったかと言うと、私はそうは思わない、なぜなら私は
そのような学生を一人も見ていないからである。

また村上龍の「限りなき透明に近いブルー」が当時の
学生の気持を代弁しているかと言うと、これもまた大いに
違うと言わざるを得ない。
確かに村上龍の書く世界に、我々がいくばくかの憧れをもっていた
ことは認めるが、それは逆に彼の書く世界が、当時の学生の
気持ちと乖離していた証拠である。

当時の学生の代弁者は柴田翔であって、小池真理子
が書いているように、柴田翔は我々のバイブルでもあった。

今読みなおしてみても柴田翔はその時の学生の気持ちを
正確に、まっすぐ書こうとしている。
1960年後半から1970年代は日本にとっても学生にとっても
手さぐりの時代だったのだ。

ぼくは、君がぼくの知らない異国の街角を歩いているところを
心に想像してみた。
だが、ぼくの心は死んでいた。そうした想像は、影絵のように
ぼんやりと僕の意識を通り過ぎて行き、ぼくの心には何の感慨も
起こらなかった。春の陽ざしの差し込むIの研究所で、ぼんやり
と窓際に立つぼくの身体の中を、ただ、うそ寒い風が、そっと
吹き抜けて行った。
このように暮らして行くこと、こういうように死んだ心で毎日を
暮らしていくことは、ことによったら、ひどくおそろしいことなのかも
知れない---。
そういう思いが、その時、ぼくの心の中で次第に拡がり始めた。

時代が激しく変革を求めていた。
しかしその求めに何も応えていないと言う虚しさが、
ほとんどの学生の心に有った。
柴田翔はそういった学生の代弁者であった。

柴田翔 Again!



  


2009年07月17日 Posted by igoten at 07:17Comments(2)読書