夜長



謙作は母が他の兄弟と違って何故か自分だけ邪慳に
扱うことに気付いていたが、心から母を慕い愛していた。

4つか5つの頃の秋の夕方、謙作はたまたまかけてあった
梯子を使って母屋の屋根に登ってしまう。

西の空が美しく夕映えている。
烏が忙(せわ)しく飛んでいる....
間もなく私は、
「謙作。---謙作」と下で母が呼んでいるのに気がついた。
それはきみが悪いほど優しい調子だった。
「あのネ、そこでにじっとしているのよ。動くのじゃありませんよ。
今山本が行きますからネ。大人しくしているのよ」
母の眼は少し釣り上って見えた。ひどく優しいだけに
ただことでないことがが知れた。
私は山本の来るまでに下りてしまおうと思った。
そして馬乗りのまま少し後じさった。
「ああっ!」母は恐怖から泣きそうな表情をした。
「謙作はおとなしいこと。お母さんの言うことをよくきくのネ」
私はじっと目を放さずにいる、変に鋭い母の視線に縛られたようになって、
身動きが出来なくなった。
間もなく書生と車夫の手で私は用心深く下された。
案の定、私は母から烈しく打たれた。母は亢奮からから泣きだした。
母に死なれてからこの記憶は急に明瞭(はっきり)して来た。
後年もこれを憶(おもう)たび、いつも私は涙を誘われた。
何と言っても母だけは本当に自分を愛していてくれた、私はそう思う。
                   「暗夜行路」より
何となく志賀直哉の「暗夜行路」が読みたくなって、久しぶりに
読み返している。
流石に日本文学の最高峰と言われるだけあって、「暗夜行路」は良いね。
秋の夜長の読書にはピッタリである。

ところで上の文中で、
『母に死なれてからこの記憶は急に明瞭(はっきり)して来た。』
とあるが、なぜ母に死なれてからこの記憶が急に明瞭になったのか、
100字以内で答えなさい、なんて国語の問題に出そうである。
なぜんだろうね。

  


2011年09月08日 Posted by igoten at 08:00Comments(2)読書