攻めすぎるな
敵を囲んだら必ず一方は逃げ道を空けておくこと。
敵の逃げ道をすべて塞いでしまうと、敵は死に物狂いとなり
見方に甚大な被害が出る。
1868年7月4日(慶応4年5月15日)未明、大村益次郎が
指揮する政府軍は、寛永寺一帯に立てこもる彰義隊を
包囲し、雨中総攻撃を行った。
その兵力、守る彰義隊は4,000人。
攻める大村益次郎達が1,500人。
しかしながら新政府軍は火力で優り肥前藩が保持する
アームストロング砲の威力は絶大であり、1日で彰義隊は
壊滅的打撃を受けた。
その時官軍は、谷中へ抜ける芋坂をわざと空けておいたため、
戦いの大勢が決まると戦意を喪失した彰義隊員は
そこから逃走して、窮鼠による損害は無かったのである。
自分が有利でも、攻める時は必ず相手に逃げ道を空けて
おく必要がある。
もし開けておかないと、思わぬ捨て身の反撃にあって自分も
痛い目にあうという教えである。
部下や子どもを叱った時に、相手が見え透いた言い訳を
言ってもそれをわざと咎めないそのような配慮が
必要な時もあるのだ。
[追記]:この原典は『孫子の兵法』です。 ----------------------------------------------------------
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